金谷俊一郎氏のコラム
第2回:『上海という街』
第2回:『上海という街』

上海が国際都市になったきっかけは、1931年から100年近く前の1840年におこった阿片戦争です。
阿片戦争とは、中国清王朝の阿片輸入禁止に対してイギリスがしかけた戦争です。
阿片戦争で清国が敗れた結果、上海をはじめとする五港が開港され、1845年、上海にイギリス租界が成立します。
1848年にはアメリカ・フランスも租界も成立し、日本も1895年に、日清戦争の結果締結された下関条約にもとづき上海の租界に進出していきます。

1930年代になると、上海は人口300万人を超える大都会になっていきます。
この上海の中で一番栄えたのがバンドと呼ばれる地帯でした。バンドとは、東洋の港町などの海岸通りや埠頭を指す言葉です。
上海租界の中に形成されたバンドには、西洋風の建築群が立ち並び、まさしく中国の中の西洋といった体をなしていました。

この一帯は現在、「外灘風景区」に指定され、建築群全体が国家重点文物保護単位となっています。
そのため、今でも当時の建築物の多くを見ることができます。
旧サッスーン・ハウス、旧江海関、旧香港上海銀行上海支店、旧ユニオン・アシュランス・カンバニ-ズ・ビル、旧シャンハイ・クラブなど、
当時の建築群は壮麗の一語に尽き、上海租界の隆盛を何よりも雄弁に物語っています。
それらが夜ごとにライトアップされる様子は、まさしく1930年代に我が身がタイムスリップしたかのような錯覚に陥ること請け合いです。

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