歴史ナビゲーター・金谷俊一郎氏のワンポイントコラム

◆◇◆第3回


さて、今回の舞台となったビッグフォーは、上海の有名デパートの総称です。
先施公司、永安公司、新新公司、大新公司の4つの総称で、ここに中国国貨公司を加えて上海5大デパートと呼ぶ場合もあります。

雪菜が赴いた永安公司(永安百貨)は、1918年の開店以来、上海モダニズムをリードする存在でした。
建物の屋上にあった倚雲閣(日本語で「雲に届く高楼」の意)や、2階に突き出たバルコニーは今も、1930年代の上海の面影を残しています。この2階のバルコニーからは、今でも専門楽士によるサックスの演奏を聴くことができ、聴く者を1930年代の上海に誘います。



また今回、最後の戦闘は永安公司の屋上でおこなわれました。もちろん永安公司の屋上にも娯楽施設はありましたが、ビッグフォーの一つである先施公司(先施百貨)の屋上の娯楽施設では、京劇や映画の上演も行われたほどでした。先施百貨は、当時の中国の常識であった値切りを排し、徹底した定価販売を実現しました。また、上海ではじめてデパートガールを採用したのも先施百貨でしたが、当時の封建的な中国では、デパートガールの応募が来なかったため、社長婦人自ら売り場に立つといったこともあったそうです。白亜の時計塔が天に向かって伸びた石造りの建物は、今も健在です。

上海を訪れる機会があったら、是非ともこれらの百貨店の建物を訪れてみてはいかがでしょうか。
こういった歴史背景がわかっていると、また違った風に見えてくるものですよ。

さて、日本にチューインガムが輸入されたのは、大正5(1916)年のことで、昭和3(1928)年に国内生産がはじまります。
しかし、当時の日本では噛み菓子という習慣がなかったため、あまり普及しませんでした。上海でも一部の外国人は愛用していましたが、風蘭らがその食し方を知らなかったのも不思議ではなかったでしょう。

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