歴史ナビゲーター・金谷俊一郎氏のワンポイントコラム

◆◇◆第8回


1932年に満州国は、五族協和をスローガンに、王道楽土を目指す独立国として成立しました。王道楽土とは「人徳に基づいた正しい道によって治められる安楽な土地」という意味です。しかし、実際は満州国の内閣にあたる国民会議の主導権は、国務大臣にあたる満州人の部長のもとにいる日本人の次長が握っていたため、実質的には日本の傀儡国家であったといえましょう。

そのため国際連盟は、満州事変や満州国の調査を命じた調査団を派遣します。それがリットン調査団です。リットン調査団は調査の結果、その報告書で、「柳条湖事件とその後の日本軍の活動は、自衛的行為とは言い難く、満州国も独立国家とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。」としながらも、「満州に日本が持つ権益は尊重されるべきであり、中国が「不買運動」を日本に対して行使している限り、満州の平和は訪れない。」とも言っており、日本側に対する配慮もありました。

ちなみに、番組本編にあったリットン卿の誘拐事件はフィクションですので…。
さて、高千穂勲がリットン卿などに見せた新型爆弾について。新型爆弾といえば一般的には原子爆弾を指しますが、原子爆弾の研究は、1939年にナチス=ドイツが核兵器を保有することをおそれたユダヤ人物理学者レオ=シラードが、アメリカ大統領に信書を送ったことが発端となっており、1932年段階ではまだ新型爆弾の開発はおこなわれていなかったとするのが定説となっております。

満州国に話を戻しましょう。満州国のスローガンであった五族協和とは、満州族、漢民族、蒙古族、朝鮮族、日本民族が、満州国で協力して国づくりをおこなっていこうというものでした。しかし、実際は、すべての分野で日本人が満州国の実権を握っていました。 高千穂勲は、リットン卿に「イギリスがすべての植民地を解放すること」を要求していました。もしかしたら、高千穂は真の意味での五族協和・王道楽土を考えていたのかもしれません。

ところで、雪菜が飲み方を知らなかったラムネですが、日本にラムネが最初にやってきたのは、1853年。ペリー一行が浦賀にやってきた時に持ち込んだものです。明治初期には日本人にもラムネの製造許可がおり、その頃から今と同じスタイルの瓶を用いていました。ですから、雪菜が飲み方を知らなかったのは、華族の育ち故に庶民の飲み物を知らなかったからといえるでしょう。

スペシャルへ戻る