歴史ナビゲーター・金谷俊一郎氏のワンポイントコラム

◆◇◆第11回


「閃光のナイトレイド」はその舞台を魔都上海から新都満州に移しましたが、今回はその満州国執政の溥儀について。

溥儀は1908年にわずか2歳10ヶ月で清朝の12代皇帝に即位します。しかし、1911年の辛亥革命により清朝は滅亡。6歳で皇帝退位となるわけです。しかし、この際「清帝退位優待条件」が締結され、溥儀はその後も紫禁城で皇帝としての生活を続けることになります。
しかし、1924年にクーデター軍により溥儀は紫禁城から追放。その際、溥儀の受け入れを許可したのが、北京の日本公使館で、その後溥儀は天津にあった日本租界の張園に移り住みます。実は、当初日本政府は溥儀を政治的に利用しようとは考えていませんでした。
むしろ、日本政府が溥儀を抱えることは、中華民国との軋轢を生むということで、厄介のタネであったほどです。

しかし、関東軍の満州支配によって状況は一変します。日本の実質的な満州支配を国際社会に承認させるためには、清朝の皇帝で満州族出身の溥儀を元首とした国家を表向き建設することが最良と考えるのです。溥儀自身も、清朝の復興を夢見ていたので、両者の利害は一致。溥儀を執政とする満州国が建国されます。

しかしながら、溥儀は満州国建国にいたる関東軍との協議に参加させられなかったばかりか、協議の概要さえも知らされませんでした。
しかも、溥儀の肩書きは国家元首を意味する「皇帝」ではなく「執政」。満州国に皇帝はいなかったものの、通常は皇帝を補佐する役割の者に与えられる肩書きでした。つまりは、関東軍が事実上の皇帝である国家というわけです。

本編にもあったように、溥儀の強い要望で、執政就任の2年後に溥儀は皇帝に就任。国号も満州国から満州帝国に変わります。しかし、日満議定書により、次官以下すべての満州帝国の上級官僚は関東軍が任命した日本人が占めることになり、皇帝である溥儀ですら彼らを罷免することはできませんでした。

こうして、関東軍の傀儡政権である満州帝国は、高千穂勲や葛といったアジアの理想を掲げる人々と、現場で目的遂行に埋没する余りその理想とはかけ離れた行動へと突き進んでいく久世陸軍少尉のような現場の人々の葛藤により、後戻りできない状況へと転がっていくわけです。

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